浅間温泉の多層的な街の特徴
ポルトマツモトのある浅間温泉は長野県の真ん中、松本市の中心市街地から2~4㎞ほど北東にある温泉街である。
そんな浅間温泉が歴史上に顔を出して来るのが5世紀の古墳時代。
温泉街の南にある桜ヶ丘古墳で金冠を始めとする出土品が多数あった。
その頃から浅間温泉には有力者が住んでいたことがうかがわれる。
その後、14世紀に一時的に北条氏による信濃国府が現在の篶竹荘周辺の場所に作られ、江戸時代になると「殿様の湯」として御殿の湯が作られ、湯守が設置。武士の別邸などが建つ。
明治には文人墨客が逗留するようになり、大正になると旧来のザ・温泉街から旧制・松本高等学校(現・信州大学)ができたことにより徐々に学生のための下宿街としての様相も呈するようになる。
そして、昭和になり浅間温泉は栄華を極め、平成・令和となっていくのである。
このような背景から、現在でも浅間温泉にはそれこそ江戸時代から住んでいる一族がたくさんいる。エリア的にはかつて浅間温泉の中心部であった上浅間あたりである。坂の上の方が「上浅間」だ。
今ではそのあたりが住宅地エリアとなっている。
当時、上浅間には旅館も多く建ち並んでいたが、横谷沢の氾濫を期に、下浅間の方にも旅館が移転していくことになる。
結果的に、下浅間の方が旅館街になっている。
下宿街は「街」というほどまとまりがあるわけでは無いが、信州大学が近いことで昔から多くの大学生が浅間温泉に下宿していて、浅間温泉の中に点在して下宿(ごはんが出ないところもあるので木賃アパート)があった。
また、学生がたくさん住んでいたことからリーズナブルなご飯屋さんも多く、学生街としての可能性も浅間温泉は秘めているのである。
また、旅館街があることからもその周辺の湯坂や中央通りには今でも飲食店などが建ち並ぶ繁華街としての側面も持つ。
温泉街とひとくくりしたとしても浅間温泉は旅館街・住宅街・下宿街・学生街・繁華街の街が融合した温泉街といえる。
一般的な温泉街なら旅館街+住宅街+繁華街(歓楽街)くらいが相場であり、下宿街・学生街という大学生が暮らす街としての特徴をもつ浅間温泉は大変珍しい温泉街である。
もし、これらがより元気になり、融合することになったら・・・想像するとすごく楽しい。
軍艦島とか夕張炭鉱みたいなイメージ
浅間温泉は半径500mの円の中、厳密には南北500m、東西300mの0.15㎢ほどの中に温泉街がすっぽり収まるという大変コンパクトな温泉街である。
その中に、色々な要素が詰まっている浅間温泉はなんとなく軍艦島とか夕張炭鉱などの炭鉱町に近いイメージを持つ。
ぎゅっとした面積に、住居から、働く場(暮らす人目線で言うと旅館)、宿、公共施設、娯楽施設が詰まっているからだ。
コンパクトな街でこれらが健全に機能すればこれ以上暮らすのに便利な街は無いのではないかと思う。
しかも浅間温泉は三方を山に囲まれていることから自然環境も充実しちゃっているのである。
旅館街・住宅街・下宿街・学生街・繁華街がそれぞれのベクトルでより発展すれば、奥行きのある街になって浅間温泉が楽しくなること請け合いである。
ポルトマツモトでは上の中では「住宅街」「下宿街」「学生街」あたりを推し進める立場として頑張りたいと思っている。
「暮らしを応援して人・街を楽しくする」みたいなのが理念だからである。
浅間温泉はこれからもっと楽しくなりそうな予感である。
どんどん楽しくなっていく様を中に住んで眺められるなんてこんなうれしいことがあるかいな!・・・なんて思ったりしている昨今である。
(なんか、最近筆が乗りません・・・)