作家の開高健がかつて千葉県に合った風呂の一大エンターテインメント施設「船橋ヘルスセンター」を見てこう書いている。
「客のなかの好きものが舞台にあがってのど自慢やかくし芸、汗にまみれて熱演している。人びとはそれを寝ころんだり、あぐらをかいたり肘枕をしたりしてながめている。 上着をとり、ズボンをぬぎステテコ一枚になって、ゆるやかにオヘソのあたりなどかきつつながめるのである。」
なんか、「ステテコ共和国」って検索してみたら、ポルトマツモトの親会社の合同会社SumSumの記事が沢山出てきて、あー今も昔も勢いでブログ書いてんだな。トンデモ理論、もはや都市伝説。話が飛躍しすぎてるや…と背筋が凍る思いがしたのですが・・・。
でも、話を飛躍させてしまった部分は反省したとして、言いたいことはこうなんですよ。
「温泉街というと観光地というハレの場を思い浮かべる人が多いけれど、住宅地というケとしての場所としても大事にしていこうよ」
これだけです。
観光地目線で温泉街をデザインするならば、古い温泉街ならばその雰囲気を活かして、レトロでオシャレなカフェや、ちょっと美味しくて高級な蕎麦屋を造っちゃったり、懐かしい遊びが体験できる的屋みたいなのがあっても良いかもしれません。逆に温泉街に無いようなBAR作ったり、セレクトショップ的な古本屋さん、なんならフランスレストランなんかを作っても面白いでしょう。
一方、住宅地目線だと、古い温泉街ならば昔からある街中華にランニングシャツだけ来たおじさんが昼間っから酒を飲みたむろ。道端のベンチで自販機で買ったお茶を飲みながら大声でくっちゃべるひとがそこかしこ。安くてうまい定食屋は隠れ家的存在と言えば聞こえはいいけれど、何十年もやっていて愛すべき地元の化石で行くと誰かしら知り合いに合う街の社交場である。ひとたび温泉街の住宅エリアに入ろうもんなら朝から晩までステテコ姿で街を練り歩く人を見ることができる。温泉街の住民にとっては風呂は外に入りに行くものであり、風呂から家への道すがらは自分の家の感覚だからである。
これ、船橋ヘルスセンターとそっくりである。巨大風呂エンターテインメント施設という公共の場に、家のプライベートを流し込むというこの感じ。現代では一般的な「風呂は家にあるもんだ」視点から見ると、家のプライベート空間たる風呂を街の中に流し込むというこの感じ。
これ、ステテコ共和国なり。
どんなに街が未来的になれども、洗練されども、この昔ながらの生活文化というか、ステテコ共和国的考え方はいつまでも残ってほしいなと思っているのである。
そして、今日も風呂帰りはステテコ一丁で家に帰るのである。
みんな、奇異の目でみないでね。